術後14年。過去に使わなかった乳房再建の先生への紹介状を、今、開封しました。
術後4年ほど経った時、診察の際に先生にちょっと再建のことを聞いてみたら、早とちりした先生が紹介状を書いてくれました。やりたいと言ったわけではないのに。断れずに受け取り、使わず今までずっと持っていました。
それを、今まさに開封してみました。
当然、病期や治療歴が詳しく書いてありました。苦しかった記憶がまざまざと蘇ります。
当時は先生から大体のことを口頭で聞くだけで、聞けば教えてくれるけど、書面でもらうということはありませんでした。必要なことは教えてくれるけど、不安にさせるような細かなことは、あえて言わないような先生だったと思います。
発見
2012年4月、左胸のしこりに気づきました。半年前の健康診断でマンモグラフィを受けて異常なしだったので、乳がんだとは夢にも思いませんでした。
当時40歳。小児がんや若年性がんもあれど、一般的にはがんは高齢期になるものだと思いこんでいたのです。当時は女性の12人に1人が乳がんに罹患すると言われていました。今は8人に1人です。
安心するために乳腺外科クリニックへ。ほぼ悪性ということで、安心どころかショックでややパニックに。涙が出てきて、当時幼稚園生だった娘が一緒だったため、平静を装うのに苦労しました。
後日紹介状を持って大きな病院へ行きました。
検査の結果、41歳の誕生日に、乳がん(クラスV)が確定しました。
手術はゴールデンウィーク明けになりました。当時の私は本当にメンタルが弱く、とても苦しいGWを過ごしました。
手術
5月に左胸の全摘手術。手術中の迅速診断で、センチネルリンパ節(見張りリンパ節)に転移が見つかり(2個中1個)、わきの下のリンパ節も取りました(腋窩リンパ節郭清)。
術後パッと目を開くと、先生がいて
「若いからさすが目覚めるの早いな。なぎさん、センチネルに転移があったのでリンパ節郭清しましたよ」
と私に声をかけました。
頭の中はパニック、そして落ち込みが激しかったです。
病室に戻ると、「先生から(点滴に)胃薬を追加するように言われました」と看護師さん。心配や不安は胃にくるからかな…
ステージ1だと思っていたのが、2です。
後日の病理検査の結果、転移はその1個だけだったことがわかり、ホッとした反面、顔つきが悪く増殖しやすいタイプだったことに、落ち込みました。
「ステージ1なら転移する確率はかなり低い。2だと神のみぞ知る」
先生にそう言われた時は、突き放されたような気持ちでした。
ここからしばらく頭の中は、転移への恐怖に支配されるのでした。
顔つきの悪い私の乳がん
| 項目 | 私の場合 |
|---|---|
| 種類 | 浸潤性乳管がん |
| ステージ | 2 |
| 手術 | 左全摘 |
| リンパ節 | 転移 10個中1個(腋窩リンパ節郭清) |
| ER(エストロゲン受容体) | 100% |
| PgR(プロゲステロン受容体) | 100% |
| HER2 | 2+(陰性と聞いています) |
| MIB-1 | 50% |
| 核グレード | 3 |
| 抗がん剤 | TC療法 4クール |
| ホルモン治療 | ゾラデックス 3年、ノルバデックス 10年 |
| BRCA遺伝子 | 陰性 |
当時は何をしていても不安がよぎり、がんのことを考えずにいられない日々でした。それが時間とともに薄れてきて、今では再建手術を受け、こうしてブログを書いています。
それでも、あの頃を思い起こして書くという作業は、辛い記憶が鮮明に蘇り、思いのほか苦しい時間になりました。
その後の治療のことや、そのときの気持ちも少しずつ書いていきます。
この記事を書いた人
なぎ|ヨガ講師。2012年、41歳で乳がんの手術を受けました。健康的なことをしなくては!という思いに駆られ、ヨガの先生になりました。抗がん剤治療・10年間の抗ホルモン治療を経て、2026年にインプラントによる乳房再建手術を受ける(このブログはその記録です)。
このブログは私個人の体験記録です。病期や治療の選択は人それぞれ違います。治療については、必ず主治医にご相談ください。


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